2016年 07月 18日
辞めよう
今朝。
起きたはいいけど、調子悪すぎて、大切な朝のお薬さえ、なかなか飲めない始末…というか、実際、結局飲んだのかどうか、記憶にない。
出勤。
はぁ…3連休で、ヒマ…ヒマ落ち…。
どんどん落ちる、際限なく落ちる…。
夕方頃、多少、混みあってきた…が…、
落ち込みすぎて、思考力が働かない。。。
なんなんだ?
カルテの「主訴」を見ても…内容が、把握できない…てか、誤解する…。。。
カルテに、まとまった字が書けない。
思考がまとまらない。。。
終業時間。
控室に、逃げるように避難。社長はまだ接客中。
電気も点けず、ぼーっと過ごす。
40分経過。
「先生、帰るよ。いつまでそんなことしてんの。」
終わりだ。
「ビジネスパートナー」と言いくるめられて来た。
だけど。
都合のいいように、利用されてきただけじゃん!
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by tappy_1
| 2016-07-18 19:16
2016年 05月 02日
バースデーメッセージ
だけど、連絡を取る手段がないので、特に何もしない。
そして、つい先日のこと。
今は「絶縁状態」にある、大切な人…のお誕生日だった。
毎年、ケータイに、お誕生日メールだけは送っていた。
返事は数文字と、素っ気なかったけど。
そして、向こうから、僕の誕生日を祝ってくれることは、
当然、もう何年も、ない。
だから・・・今年は、迷った挙げ句、
ついに、お誕生日メールを送るのをやめた。
迷いに迷って、鬱々が何日も悪化したけど。。。
多分……今後、メアドが変わっても、
教えてもらえなくなるだろう。(今は、珍しいドメイン)
そうなると、連絡手段は絶えてしまう。
それはそれで、諦める。
諦めることを、受け入れざるを得ない。きっと、運命。
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by tappy_1
| 2016-05-02 11:30
| 日常
2016年 03月 29日
墓場まで持って行くつもりだったけど…
この話は、「墓場」まで持って行こうと思っていたけど、なんか「その日」が、そんなに遠いことでもないような気がしてきたので、
(あ、自殺するってわけじゃなくって、もうトシもトシなので、いつ、どんなきっかけで死んでもおかしくないいって意味)
もう、書いちゃおうかなー……ということで、書くことにした。
今回のテーマ。両親について。
僕は、基本、両親とは仲が良い。
…ということになっている。表向きは。
だけど…先日、約10年ぶりに、やっと帰省したくらい、実家を避けている。。。
両親について…ずーっと、不信感が、胸につっかえていること…。
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まず、母。
すっかり大人になってからのこと。
僕がこちらで、向精神薬のODで入院した時、退院の際に、身元引受人として迎えに来てくれた。
が…病院を後にした時の言葉。
「あんた、医師免許だけは、なくさないようにね!
あんたから、医師免許取ったら、後には、なーんにも残らんのよ。
普通の人以下なんよ」(方言、適当に改変)
ODするほど大変だったというのに…こんな言葉かい。。。(T_T)
しかも、言うに事欠いて「医師免許無しでは、普通の人以下」扱いかい…。
寂しくなってしまった。
そもそも、実家を飛び出すことになったのも、母の発言のせい。本人は、ちっとも覚えていないと思うけど。
大昔、うつで、ちょっと休職していた時のこと。
実家のキッチンで、僕がふと、「つらい」と口にした。
すると、母が…、
「いつも、つらい、つらいばかり。
そんなこと聞かされていると、こっちこそ、うつになるわ!」
…あ~あ。うつ病患者に「言ってはいけないこと」の、定番発言。。。
と、そんなことを分析できる余裕もなく、僕は、
「もう、この家にいたら、潰される!」
…と思い詰め、即、コードレスホンの受話器を取り、
泣きながら、当時の上司のケータイに、
「○○病院(隣県の出向先)に行かせて下さい(T_T)」
と電話した。。。
実家から離れたのは、それがきっかけなのだが……両親が覚えているはずもない…。
いや、覚えていてほしくも、ない。
結局、出向先の総合病院も、任期の最後までは果たせず…、
関東に出て来て、今に至る。。。
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父について。
幼かった当時は、思いも寄らなかったが…今から思い返すと…、
僕は、DVを受けていたようだ。
ちょっとしたことで、頻繁に殴られていた。
風呂場に逃げ込んで、浴槽に隠れれば、上から水を流し込まれた。
トイレに逃げ込んで鍵をかけても、こじ開けられ、殴られた。
叱られるのが怖かったのではない。
ただただ、殴られるのが恐怖で怯えていた、少年時代。。。。
高2のある日。
殴りかかってきた父の腕…を、つかんだら、つかみ取れた。
その日を最後に、DVは終わった。
高3のある日。
いったん学校から帰宅し、もう一度、制服のまま、ちょっと自転車で近所まで出かけた。
ちょっと近所なので、当然、すぐ帰ってきていた。
出かける姿を、近所のMさんのおばさんが見かけ、祖母に、
「tappyちゃん、あっちのほうへ出かけたよ」
と言ったらしい。
で…祖母は、その後すぐ帰宅していたことに気付いていなかった。
で、夜、両親帰宅。祖母から、僕が外出中だと聞いて、
父…、2階への階段を上りながら…、
「夜までほっつき歩いて!
こんなんで、大学なんか受かるわけ、ないやろが!」
と、放言。
でも、僕は、2階の自室で、数学の問題集を解いていた真っ最中・・・・。
聞こえなかったフリして、「おかえりー(^_^)」
悟った。
親とは言っても、「自分以外=他者」なのだと。。。
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もっともっと子供の頃のこと。
以前にも書いたことの、再掲。
僕は、結構ひどい喘息持ちだった。
小学校へ登校してから、学校で大発作を起こすことも、しばしばだった。
当時は、メプチンエアーなんか持たされておらず、、、
強い発作が起きたら、保健室で休憩し、治まらなければ帰宅…という流れだった。
ただ、その「帰宅」が問題。
発作が起きていると、ほんの10m歩くのさえ、苦しくて困難。
膝で、上半身を支えるような格好で、なんとか前進する感じ。
なのに。
学校から家までの、約1.3kmの道のりを、いつもいつも、歩いて帰らされた。
地獄だった。拷問のようだった。
今から考えれば、なんでタクシーのひとつ、頼まなかったのだろう?と思える。
もっとも…僕の地元は、当時、タクシーなんて、「冠婚葬祭」の際に使う物…だった(>_<)。
喘息発作なんかで、軽々しく用いるものではなかったのだろう…。
ホント、クソド田舎…(-"-#
とは言え…ほんの目の前までも歩けないような小学生を、
1km以上歩いて帰らせるなんて……どんな親&学校???
今なら、「児童虐待」だよなー。。。
当時は、そんなこと、微塵も思っていなかったけど。
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そんなこんなで……、現在の僕はよく、
「表裏がない」とか評されるが………、
実は、生育環境のせいで、相当ねじ曲がった性格をしている。
表向き、人当たり良く見えるのは…、
例えれば…癖毛に、ストレートアイロンをかけているようなモノ。
こんな人生…もう、いい加減、飽き飽きしたなー…。。。
もう「やり直し」が利くような年齢ではない。
「強制リセット」、かけられないかなー…。。。
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by tappy_1
| 2016-03-29 17:53
| 日常
2015年 12月 11日
ビルの「実」
ふと…中学生の頃の、NHK全国学校音楽コンクールの課題曲、
「トマトの夕焼けスープ」を思い出した。
もう、30年近く前のことだ。
歌詞の中に…こんなフレーズがあった。
あたり一面ビル畑当時は、その頃の時代背景もあり、
いくら咲いても 実がならない
「あぁ、確かにそうだなぁ~」と、納得していた。
しかーし!。約30年経った今、首都圏に住んでいると…、
ビルはどんどん増え続けて、夜はキラキラ輝き、
ビル夜景っていうものは、美しい物であり、
それはそれで、「花」や「実」と言えるのではないか?
…と、思えてくる。
時代が変遷したのか…自分が変わったのか…。
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by tappy_1
| 2015-12-11 00:12
| 日常
2015年 10月 04日
喘息で、児童虐待?(>_<)
毎日、ステロイド・β刺激薬・抗コリン薬の吸入をしているけど、
それでも、この季節は、体調を崩してしまいがち。
先日、大学病院の受診日。
たまたま発作が出ていた。
「5日間、ステロイド、飲みましょう。」
…と、内服ステロイドが処方された。
久々に、ステロイドを飲む羽目になった。
なんだかなー…子供の頃に比べたら、こんな発作、屁でもないんだけどなー…(-_-;
子供の頃の思い出。。。
小学生の頃。大げさではなく、週に1度は、発作で学校を休んでいた。
また、しょっちゅう、学校でも発作を起こし、早退していた。
その「早退」について。。。
いったん「発作」を起こすと、もう、10m歩くのも、やっとになる。
息ができなくて、歩けない。顔を上げていられない。
保健室で、ベッドに横になれればいいけど、
実は、喘息発作中というのは、横に寝ていると、かえって息が苦しいので、
正座のような姿勢になり、前屈みになって、腕で上半身を支えるというのが、
一番ラクな体勢だ。
当時は、発作止めの吸入(メプチン・エアーやサルタノール)を
持たされていなかったので(無かった?)、
「早く帰宅して」、近所の内科に行って、吸入と点滴するしか、
手段がなかった(T_T)。
そう…その、「早く帰宅して」…が、今回の問題…。
ウチから学校までの距離は、約1.3km。。。
両親は、共働き。
祖父母は、車の免許は持っていない…。
そして、僕は…上記の通り、10m歩くのも、必死。。。
普通に考えると、タクシーを使うのが、正解だろう。
なのに。
いつも、歩いて帰らされた(T_T)。
僕の地元は、当時、タクシーを使うのは、
よほどの時のみ…という土地柄だった。
例えば、冠婚葬祭とか。
首都圏に出て来て…みんなが気軽に、道でタクシーを拾っている姿を見て、
かなりカルチャーショックを受けたくらいだ。
家までの道のり…思い出すだけでも…泣きそうだった。。。
つらかった…。
今なら、「虐待」に入るな、きっと。
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by tappy_1
| 2015-10-04 14:30
| 日常